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こんにちは、『ハイらぼ』管理人のたき火ちゃんです。
大自然に囲まれ、夜は静かに、朝は鳥の鳴き声で目覚め、昼は太陽のもとで美味しい空気を吸いながら、様々な思い出作りができる那須高原。
みなさんが、那須高原に来た際、ホテル、旅館、貸別荘、キャンプ、宿泊前後にぶらっと立ち寄りたいスポットのご紹介です。
那須温泉神社 (なすゆぜんじんじゃ)
那須温泉神社は、栃木県那須郡那須町にある歴史ある神社です。
大己貴命、少彦名命、誉田別命を祀っており、商売繁盛、家内安全、病気平癒、身体健全、縁結び、必勝祈願などのご利益があるとされています。
豊かな自然に囲まれたパワースポットとしても人気があります。
四季折々の景色を楽しみながら、神社のすばらしさに触れてみてはいかがでしょうか。
神社入口です。有名な出雲大社からしたらすごく地味だけど・・・。シンプルでいいです。
ふらっとお参りしてくる~。
こちらを上がって行くと愛宕神社があります。
愛宕参道を歩くと温泉神社本堂へ、温泉神社本堂から愛宕神社へと行き来できる道です。
天気の良い日は散歩コースになっていいのかな?今度、時間のある時歩ってみよう!
うん、今回は殺生石も行きたいからまっすぐの道で本堂入りね!
周りの木が真っすぐに育ってるのに、この木は「ぼこぼこ」で、今にも「めきめき」破裂しそうな力強さがあり、自由でのびのびと、それこそ自分スタイルで「生きる」木でした。
活力、蘇生力、生命力等パワーを感じることができます。
みなさんも、一度立ち止まって、マジマジと眺めてみて下さい。パワー得られます。(笑)
たきびちゃんは変わった木を見ると、「なんでこんな風に育つだろう?」と疑問に思い、立ち止まり、長居しちゃうの!笑。たまにありますよね~大樹木。
温泉神社本堂です。
始めにもお話しましたが、商売繁昌、家内安全、病気平癒、身体健全、縁結びの御利益があります。
また、那須与一も祈願したところから必勝祈願の御利益があります。
受験・資格で必勝祈願、人生の節目にお参りしましょう。
結婚式なども行われています。
お守りや御朱印など希望の方は授与所に立ち寄るのもいいですね。
ぜひ一度、足を運んでみませんか・・・。
受験生はお参りして合格祈願したいね。御利益ありそう~!
那須与一とは…
那須与一(なすのよいち)は、平安時代末期の武将・御家人です。鎌倉幕府初代将軍の源頼朝に仕え、弓の名手として知られています。
那須与一は、源氏と平家の「屋島の戦い」で、平家が立てた扇の的を射落としたことで有名です。
1185年の合戦で功績を立て、丹波・信濃など5か国に荘園を賜りました。
那須家の惣領として重きを成しましたが、若くして没したと言われています。
那須与一は、武勇に優れ、特に弓術において卓越した才能を持っていたことから、「弓の名手」として知られています。
しかし、生没年さえあやふやで、お墓もあちこちにあります。
どんな人物だったのかは、謎の部分も多いです。
那須与一の生涯は伝説に彩られていて、『吾妻鏡』や貴族の日記などには登場しません。
つまり、実在したかはあやふやな人物です。
こんばいろの湯
温泉神社の鳥居の前にある足湯です。
お参り前後にに冷えた足、運転疲れの足を温め、ゆったりした気分になれます。
寒い時期、気持ちい~ぃ~♨
殺生石(せっしょうせき)
栃木県那須郡那須町の那須湯本温泉付近に存在する溶岩です。
付近一帯に火山性ガスが噴出し、このガスにより鳥獣が命を落とすと古くからたくさんの事例があります。
九尾の狐伝説によると、中国やインドで悪行を働いたキツネが那須まで逃げた末、退治されて石になった。
その石が放つ毒気で多くの生き物が命を落としたため、「殺生石」と名付けられたそうです。
2014年3月、「おくのほそ道の風景地」のひとつとして国指定名勝となりました。
2022年3月に真っ二つに割れてニュースでも話題になりました。
「九尾の狐」伝説の存在が憶測にもなりましたが、以前からヒビが入っており自然現象で割れたと関係者は話しています。
2022年12月イノシシ8頭の死骸が見つかりました。
群れで行動するうちに付近に迷い込み、硫化水素などの有毒な火山ガスを吸ったためとされており、殺生石周辺でタヌキといった小動物の死骸が発見されることはあるがイノシシ8頭は極めて珍しいようです。
それにしても、奇妙な割れ方だわ!
教伝地蔵と千体地蔵
賽の河原には無数のお地蔵さんが安置されており、それを 千体地蔵 といいます。
千体地蔵は意外と新しく、最初の一体が安置されたのは1978年のことでした。
それには古くから安置されていた 教伝地蔵 が大きく関わっています。
江戸時代に安置された「教伝地蔵」
若い頃に親不孝ばかりしていたという奥州白川の住職、教伝が殺生石の見学に来たときに噴火に巻き込まれ亡くなりました。
地元の人が哀れんでお地蔵さんを安置したところ、親不孝の戒めとして参拝する人が絶えなかったといわれています。
これは江戸時代のお話で、その後教伝地蔵の物語は忘れ去られ、お地蔵様もほったらかされていました。
1970年代中頃には首がもげ、形も定かでなくなってしまった教伝地蔵ですが、あまりにひどいので地元那須湯本温泉の人たちは作り直すことにしたそうです。
1978年に修復が終わり、同時に新しい教伝地蔵が隣に安置されました。
那須湯本温泉の関係者で千体になるまでお地蔵様をつくろうとなり、2020年時点では800体は超えているそうです。
硫黄な匂いだけに異様な数の千体地蔵とダジャレ言ってたおじさんいたよ!笑
湯の花採集場跡
地表から吹き出たガスの硫黄成分が結晶したものを「湯の花」といいます。
水に溶けやすいため屋根をかけ、地表に敷きつめた赤土の上にできた湯の花を採集していました。
江戸時代、この地域では年貢米の代わりに、湯の花を納めていたことから、貴重な資源であったことがうかがえます。
伝説が今も残るミステリーなスポット「殺生石」。
様々な憶測やうわさが飛び交ってますが、慰霊祭と平和祈願祭を実施し、たたりらしきものは起きておらず、那須火山の活動にも変化はみられず、ひとまず安心な観光名勝です。
合わせた手が大きく特徴ある「千体地蔵と教伝地蔵」。
たくさんのお地蔵さんが並んでいると異様な感じもするけど、一つ一つ大きさや顔つきも違い、目が合わせずらいお地蔵さん。(笑) でも、ちゃんと守ってくれてると思います。
江戸時代の歴史が残る「湯の花採集場」。
当時の湯の花採集場の写真をみて、湯の花畑、貴重な資源だったとは想像しにくいですが、そういう時代もあったと、現在がとても恵まれてると感じます。
今でもミステリーなパワーを感じる殺生石にはたくさんの観光客が訪れています。
殺生石を観に行くのであれば温泉神社にお参りして神社から横道を抜けて行って殺生石を観て、下りながら教伝地蔵などを観るのがおススメです。
みなさんもぜひ、パワー溢れるスポットへ足を運んでみてはいかがでしょうか。
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